【世界に称賛される自衛隊】「航行の安全」確保、なぜ近隣諸国の脅威になるのか 初の自衛隊海外派遣に在留邦人も歓喜

現在、海上自衛隊の護衛艦および、P3C哨戒機が、アフリカ・ソマリア沖に出没する海賊から民間船舶を守るために、同海域で活動し、世界から高く評価されている。

 そんな自衛隊の海外派遣は、湾岸戦争後のペルシャ湾への海自掃海部隊派遣(1991年4月)が最初だ。イラクがばらまいた機雷を除去し、船舶の安全航行を確保することが目的だった。

 ところが、国内では異常な議論が巻き起こった。自衛隊の海外派遣が「海外での軍事行動にあたる」「近隣諸国への脅威となる」といったピント外れなものだった。

 自衛隊の活動によって、世界の船舶の「航行の安全」が確保され、「世界経済の安定」に寄与することが、どうして問題なのか。わずか500トン程度の掃海艇数隻の派遣が、なぜ近隣諸国の脅威になるのか。

 実際、国際社会の反応はどうだったのか。

 何と、ペルシャ湾に向かう日本の掃海部隊は、各寄港地で各国海軍に大歓迎を受けていたのだ。

 ペルシャ湾掃海派遣部隊の指揮官だった、落合たおさ元海将補(当時、1等海佐)は次のように語る。

 「アジア各国は、掃海部隊を大歓迎で迎えてくれました。最初の寄港地フィリピンをはじめ、ペナン、スリランカ、パキスタンも同様です。シンガポールでは軍の最高司令官から『東洋・アジアを代表して、どうか頑張ってきてください。支援なら何でもします』とまで言われました」

 「ところが、日本からFAXで送られてくる新聞記事に目を疑いました。当時のマスコミが報じていたのは『アジア各国の不安や対日警戒』という虚構でした。彼らは、ありもしないことを捏造(ねつぞう)していたのです。船上でこの事実を知って、怒りを禁じ得ませんでした」

だが、派遣隊員の士気はすこぶる高かった。落合氏は続ける。

 「平均年齢は32・5歳で、結婚適齢者が多かったんです。挙式が決まっていた隊員もいましたが、派遣が決まるや凛然として任務を引き受け、挙式を延期したのです。頭が下がる思いでした」

 何より、この派遣を歓喜で迎えたのはアラブ諸国であり、この地域で働く在留邦人だった。

 日本政府はそれまで、総額130億ドル(当時のレートで1兆7000億円)の財政支援をしていたが、在留邦人は「金だけ出して血も汗も流さない」と揶揄(やゆ)されていた。子供たちは、他国の子供たちの言動に嫌な思いをしていた。

 ところが、掃海部隊派遣で状況は一変した。国際社会は一転して日本をたたえた。クウェート解放に貢献した国の国旗をあしらったTシャツに日の丸も入った。

 活動内容も素晴らしかった。

 海自掃海部隊は、機雷掃海が困難な海域で、34個もの機雷を処分したのだ。各国海軍は、海自の掃海技術を称賛した。こうした命がけの活動によって、各国タンカーは、この海域を安心して航行できるようになった。自衛隊の活躍は世界経済の安定と繁栄にも大きく寄与したのである。

 ■井上和彦(いのうえ・かずひこ) ジャーナリスト。1963年、滋賀県生まれ。法政大学卒業。専門は、軍事安全保障・外交問題・近現代史。「軍事漫談家」の異名も持つ。産経新聞「正論」欄執筆メンバー、国家基本問題研究所企画委員などを務める。第17回「正論新風賞」受賞。主な著書に『日本が戦ってくれて感謝しています』(産経新聞出版)、『東日本大震災 自衛隊かく闘えり』(双葉社)、『撃墜王は生きている!』(小学館)など多数。