もはや韓国の世論は北朝鮮の核の前に屈してしまった

2017.5.8 ZAKZAK

 朝鮮半島の「赤化統一」を目論む金正恩にとって、最重要課題は韓国に従北政権を樹立させることだ。ジャーナリストの李策氏が、北朝鮮が長年続けてきた、韓国に対する心理戦について報告する。

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 大統領選の候補者登録(告示)が締め切られる前日の4月15日、韓国のテレビには北朝鮮のニュースがあふれた。故・金日成主席の生誕105周年を祝って行われた軍事パレードを、北朝鮮メディアが中継。新型と見られる大陸間弾道ミサイル(ICBM)など戦略兵器が続々登場し、核武装が既成事実化した現実をまざまざと見せつけたのだ。

 だが、それを見守る韓国の人々の表情は淡々としている。韓国紙記者が言う。

 「日本人だって、今や福島第一原発の放射能漏れや汚染水流出を誰も気にしないらしいじゃないですか。それと同じです。北朝鮮のやることをいちいち気にしたって仕方ないのです」

 たしかに、韓国国民の生活が北朝鮮にかき乱されるようであってはならない。安定した日常は、強い社会の証明だ。しかし忘れてはならないのは、北朝鮮の行動には「意図」が隠されているということだ。韓国の公安捜査員が話す。

 「北朝鮮はわが国民に対し、絶え間なく心理戦をしかけている。その方法は巧みで、一般の人がそれと認識することはなかなかできない」

 北朝鮮による心理戦の事例で有名なのが「火の海」発言だ。朝鮮半島が第一次核危機の最中にあった1994年3月、板門店での南北協議で北側の朴英洙(パクヨンス)・首席代表が、韓国側の宋栄大・首席代表にこう言い放ったのだ。

 「ソウルはここからそれほど遠くはない。もし戦争が勃発すればソウルは火の海になるだろう。宋さん、あなたはまず生き残れないだろう」

 もちろん、協議は決裂。この様子を収めたビデオは当時の金泳三大統領の指示でテレビ放映され、北朝鮮の「危険さ」を全世界に認識させた。

 だが、朴氏の「火の海」発言は、実は失言ではなく、意図的なものだったと言われている。実際、戦争になればソウルは北朝鮮の長距離砲部隊によって甚大な打撃を受ける。それを知っている韓国国民は、動揺せずにはいられないからだ。

 それでもかつての韓国は、こうした北からの心理戦に対してかなりの耐性を持っていた。軍事政権下で徹底した反共教育が行われていたこともあって、北朝鮮による脅しに世論が強く反発し、国内保守派の発言力を強める構図があったからだ。

 ◆北朝鮮シンパが暗躍

 ところが近年の選挙では、これとはまったく逆の構図が現れるようになっている。端的なのが、2010年6月に行われた統一地方選挙だ。このときは地方選ながら、対北政策が最大の争点になった。同年3月26日、海軍の哨戒艦「天安」が突如爆沈して乗員46名が死亡。これが北朝鮮の魚雷攻撃によるものと判明し、北とどのように向き合うかがテーマとなったのだ。

 このとき、保守派の李明博政権は、「北朝鮮をつけあがらせたのは、金大中、盧武鉉の10年間にわたる左派政権である」として、対北強硬策を次々に打ち出した。しかし、地方選で圧勝すると思われた与党は、まさかの惨敗を喫したのである。

 理由については様々な分析があるが、早い話、韓国国民は現在の繁栄を賭けてまで北朝鮮と対決することを望まなくなったということだ。韓国国内の厭戦ムードは、時とともに顕著になりつつある。ソウル在住のジャーナリストが話す。

 「今回、保守派の自由韓国党から大統領選に出た洪準杓(ホンジュンピョ)候補が4月15日に釜山で行われた集会で、『有事の際には軍を北進させ、金正恩ら指導部を除去して国土を制圧する』とぶち上げたのですが、ネット上で『頭がおかしいんじゃないか』『ぜったいに投票しない』と叩かれまくっています。発言しているのは主に、息子を兵役に送っている親の世代。北朝鮮は核兵器を持って待ち構えているわけで、そんなところに息子を送るなどとんでもないと。この点は保守派も左派も差がなくなっているように見受けられます」

 ということはもはや、韓国の世論は北朝鮮の核の前に屈してしまったとも言える。金正恩朝鮮労働党委員長は核兵器を使わずして、その心理的効果により、すでに大きな果実を手にしているわけだ。

 一方、韓国社会が北朝鮮の心理戦につけ込まれてしまうのは、「左派のせいばかりではなく、保守派の責任も大きい」との指摘もある。人権NGOの専従活動家が言う。

 「韓国では軍事政権以来、政治と財閥が癒着し、労組運動にも権力が介入してきた。過激な労使闘争が長らく続き、労働者階級の権力への不信は根強い。そこに、北朝鮮シンパが活動の場を広げる余地ができてしまっている。シンパの中には北朝鮮の工作機関と接触を持ち、平壌からの指令を受けて動いている者もいる」

●り・ちぇく/1972年生まれ。朝鮮大学校卒。日本の裏経済、ヤクザ社会に精通。現在は、北朝鮮専門サイト「デイリーNKジャパン」などを足場に、朝鮮半島関連の取材を精力的に行っている。
※SAPIO2017年6月号