封印された特攻隊の戦果

神雷部隊桜花隊の誕生

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「本土における特別攻撃の最大の特徴は、桜花、すなわち人間爆弾を使用したことである」
と中島少佐が回想録で述べているように、人間爆弾「桜花」は昭和十九年の終わり頃に、ラバウル方面への空輸任務に従事していた太田光男特務少尉の発案によって開発された。

「桜花」搭乗員の桜花隊、「桜花」を運ぶ陸攻隊、これを掩護する戦闘機隊により編成された七二一空は、岡村指令の発案で別名「神雷部隊」と呼称され、本居宣長の名歌に因んで、特攻兵器は「桜花」と命名された。

第一次・二次・四次・九次失敗
第三次・五次・六次・七次・八次成功
第十次不明

桜花攻撃は「菊水十号作戦」終了とともに終焉したが、昭和二十年三月二十一日から六月二十二日までに出撃した桜花は七十五機、一式陸攻は七十八機、合計一五三機となっている。

その内未帰還機は一○八機(桜花五十六機、一式陸攻五十二機)となっている。

封印された特攻の戦果

戦後、米海軍が公式発表した「第二次大戦米国海軍作戦年誌」によれば、特攻兵器による戦果は、沈没二十六隻、損傷二六六隻が一般の特攻機によるもので、桜花によるものは、沈没一隻、損傷五隻とされる。

我が國の犠牲は、昭和十九年十月二十日から昭和二十年八月十五日にかけて、陸海軍の特攻機は合計三四六一機で、特攻戦死者は、合計四三七九名である。

また、回天特別攻撃隊戦死者は合計八九名、震洋特別攻撃隊戦死者は合計一○八五名、陸軍の海上挺進戦隊戦死者は合計二六五名であった。

但し、米海軍の公式発表は被害を少なくした報告内容である。
此れは米軍の士気を高めるために行われたが、それにも拘わらず、かなりな被害を受けている事が分かるであろう。

米海軍極秘資料が明かす特攻の戦果

戦後、米海軍司令官ニミッツ提督は「日本のカミカゼ特攻は完全にその使命に失敗した」と語り、高速空母司令官ミッチャー中将も「体当たり攻撃は一%しか効果的でなかった」と公言し、海軍将兵の士気を高めようとした。

然し、海軍機密文書では、1944年10月から翌年3月までの五ヶ月間の記録で、体当たり攻撃三五六回、特攻命中一四○機、命中率三九%、特攻機至近距離の自爆による被害五九機、至近自爆機被害率一七%、合計特攻効果率五六%、命中艦船一三○隻、沈没艦船二○隻という大戦果をもたらしていたことを暴露している。

 
更に、1945年4月中の戦闘報告電報からの記録集計では、一七三機による体当たり攻撃が報告され、そのうち一○六機が命中を記録、一七機は至近内自爆で被害を与えていたことが明らかにされた。

艦船八七隻が特攻機の命中を受け、そのうち五隻が沈没している。

この極秘文書は昭和十九年十月から翌年四月までの特攻の記録であって、五月以降の記録が無いのが残念である。

以上のように、米海軍機密文書と米戦略爆撃団の報告書を比較すると、明らかに前者の戦果の方が高いと謂う事実である。
詰まり、後者の報告書は意図的に有効率と撃沈率を低く抑えているのである。