死刑執行の朝、独房で布団を丁寧にたたんだ岡田中将

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http://www.sankei.com/west/news/141001/wst1410010010-n2.html

死刑執行の朝、独房で布団を丁寧にたたんだ岡田中将

「全責任は最高司令官の自分にある。私一人を死刑に処せ」。
岡田資(たすく)陸軍中将は、軍事法廷で、戦勝国・米国の非人道的空襲の違法性を訴える一方、一人で戦争責任の罪を被り、部下19人の命を守り、今から65年前の昭和24年9月17日、巣鴨で処刑された。

この孤高の戦いを描いた映画「明日への遺言」(平成20年、小泉堯史監督)で、岡田中将役に抜擢された俳優、藤田まことさんを公開前に取材した。藤田さんは映画公開から2年後、息を引き取った。

語り継がれる岡田中将の生き方

軍事法廷や巣鴨プリズンなどでの岡田中将の言動は、映画「明日への遺言」の原作となった大岡昇平氏の長編小説「ながい旅」などで詳細に綴られている。

巣鴨プリズンでは、死刑判決を宣告され独房にいる戦犯を死刑執行に連行するため、米刑務官が連日やってきた。

廊下に響くその足音を聞くだけで、「いよいよ今日は自分の番だ」と心を乱す戦犯は多く、暴れたり、泣き叫んだり、ときには発狂したりする戦犯も少なくなかったという。

前回紹介した、巣鴨プリズンに戦犯容疑者として拘留されていた賀屋氏、笹川氏の「立派だったのは今村均大将と岡田資中将だけだった」という証言は、苦境に立たされたときに人間が初めて見せるそんな素顔を、巣鴨プリズンでまざまざと見せつけられた経験から発せられた言葉だろう。

そして死刑執行…

映画では岡田中将の死刑執行時の詳細がこう描かれる。

死刑執行の日、足音を立てて、米刑務官が岡田中将の独房の前に現れ、ドアを叩く。

岡田中将は就寝中だ。

ここから死刑台に向かうまでの岡田中将の毅然とした佇まいを演じる藤田さんは、まさに岡田中将が乗り移ったかのようである。

死を覚悟した侍のような、その一挙手一投足の藤田さんの動きや表情、演技は邦画史に名場面として刻まれるであろう。

ドアを叩く音を聞いて、「よし、きたっ!」。

岡田中将は掛け布団を勢いよくはねあげ、米刑務官に英語で、「しばらく待って下さい」と言う。
そして丁寧に布団をたたみ、素早く身支度し、ドアを開けて米刑務官に礼を述べ、独房を出る。

命を懸けたメッセージ引き継ぎ

いよいよそのときが来た。

岡田中将の死刑執行を知った他の独房にいる部下たちが、鉄格子越しに泣き叫びながら岡田中将に最後の別れの声をかける。

そんな部下たちに、岡田中将は大きな声で快活に笑いながら、こう言い放つのだ。

「君たちは来なさんなよ」

死刑台に向かう極限の状況でも岡田中将は一切動揺せず、取り乱さず、絶望せず、最後まで部下を励まし続けた。
この覚悟を決めた態度に、刑務官の米兵までもが感銘を受け、最大限の敬意を払ったという。

岡田中将が巣鴨プリズンの独房で書いた遺稿集のなかに、こんな言葉が遺されている。

「私の代りに若い諸君よ、元気に新時代に尽くせよ。ではさようなら」

命を懸けて岡田中将が伝えようとしたこのメッセージを、撮影中、がんと戦っていた藤田さんは最後の俳優生命を懸けて、映画「明日への遺言」で、次代へと引き継ごうとしたのではなかったか。

岡田中将の命日から今月17日で丸65年。
今、そう思えてならない。