在日朝鮮人が通名を使い朝鮮人である事を隠すようになった訳

《在日朝鮮人が通名を使い朝鮮人である事を隠すようになった訳》
作成: 石川 久遠

昭和30~40年頃は終戦直後の余韻がまだ残り『朝鮮人』と言うと、それは凶悪犯罪者を意味した
子供の頃、夜のラジオで聞くニュースは「キン…」「ボク…」など朝鮮人による事件のニュースのない日はなかった。

民族の歴史上、初の敗戦により日本人は失意のどん底に陥っていた。
一夜にして文字通り茫然自失、明日をも知れぬ身の上になったのである。
満州などからの引揚者の多くは着の身着のままで、朝鮮半島経由での帰国の途に着いた。
そのコースなら言葉も通じるし、朝鮮半島経由が一番安全な帰国路と思えたのだろう。

それが大変な誤りであった。
未開土人同然の朝鮮人に日本人は文明をもたらしてあげた。
日本のように文明化された朝鮮人なら、我々日本人に便宜も図ってくれよう。
…ところが朝鮮半島には塗炭の苦しみが待っていた。
在住していた日本人の多くは強姦され殺されていた。

引揚者の多くも男は殺され、女は強姦され、子供は支那人に売り飛ばされるか殺された。
支那に残留孤児が多く生き残り、朝鮮半島には残留孤児が皆無なのも頷ける。
朝鮮人は日本による人間教育の半ばでいきなり野に放たれ、ケモノに還った。
事情を知った引揚者達は「女は髪を切り、顔を泥で汚し、ズボンを履いて」男の振りをした。

それでも多くの女性が朝鮮人の強姦により孕まされ、福岡県筑紫郡二日市町(現筑紫野市)にあった厚生省引揚援護庁の医療施設「二日市保養所」などで堕胎手術を受けた。

麻酔薬もまともに無い時代である。
どれだけの苦しみに耐えた事か。
男の私には想像もできない。
手術では多くの女性が命を落とした。
ここに辿り着く途中の引上船から身を投げた妊婦も居たそうだ。

日本に帰国できた者の内、運の良い者は、あちこちに急場凌ぎで建てられた「引揚者寮」に入居できた。
子供の頃、近くの引揚者寮の敷地内でグレーの瞳の少女と遊んだ記憶がある。
ロシア人とのハーフだったのだろうか?綺麗な少女だった。
何も知らずに楽しく遊んだものだ。
彼女の親は辛い体験と決断を迫られたのだろう。

敗戦時に話を戻す。
広大な焼け跡の中、うな垂れる暇もなく、生きるのに必死な日本人に対して、朝鮮人どもは戦勝国人と主張して「朝鮮進駐軍」を僭称した

彼らは必ず徒党を組んで日本人を襲った。
下らぬ因縁を付けられては、駅のホームで撲殺されたり、路地裏で集団強姦される日本人が後を絶たなかった。
当時、日本の警察官には武器の携行は許されておらず、治安は荒れ放題であった。

頼りのGHQは第三国人を「戦勝国側の者として処遇せよ」と言う始末。これに怒って立ち上がった日本の任侠ヤクザが居た。
山口組を率いる田岡何某である。
闇で入手した「手榴弾」などを駆使して、朝鮮人どもと市街戦を演じた。

さすがのGHQも重い腰をあげ、不逞鮮人取り締まりに乗りだした。
今思えば、敗戦により時代のパラダイムが変わり、日本人の普通の男達は皆 腰抜けになっていたのだ。
本来なら不逞鮮人が恐れる日本男児であった筈である。

朝鮮人達は表だって暴れる事は少なくなったが、相変わらず裏では社会犯罪を続けていた。
闇市を支配しボロ儲けを欲しいままにした
農家で牛を盗んで来ては朝鮮部落で解体し、当時の日本人には手に入らなかった焼肉を闇で売ったり、密造酒を売ったりして小金を貯めた。

ある程度の小金を貯めると、金貸を始めたり、一等地にパチンコ屋を開業して、更に日銭を稼いだ。

こうした者の中から一端の実業家気取りの者が多く現れた。
ソフトバンクの孫正義の父親も金貸しだった。
孫は相変わらず朝鮮人なら誰でも分かる「日本人を侮蔑したTV-CM」を流し続け、在日優遇料金を設けているという。

1952年(昭和27年)にGHQが去ると、日本は急速に治安を回復した。

すると朝鮮人達は誰からも相手にされなくなり、この頃から『在日に対する言われなき差別』『強制的に連行されて来た』などと嘘話を言い始めた。

そういう嘘をつきながらも、在日は有利な権利を得る為に、徒党を組んで役場に押しかけて我を通してきた。
こうして在日特権なるものが形づくられていった。

当時の日本人はこんな「身勝手な言い分」を誰も信じず相手にもしなかった。
日本人が朝鮮人に対して「軽蔑」と「恨み」を持っているのは、敗戦時の朝鮮人の集団恐喝・強奪・ 暴行・居座り 等々、徒党を組んでの蛮行の数々の故だ。

GHQの7年弱の長きに亘る抑圧的洗脳工作の結果、大人達は朝鮮人の悪事に触れなくなった。
いつしか在日共の嘘話が罷り通り出した。
「お前達は昔、悪い事をした日本人の子孫だから、お前達子孫が責任を取れ」 。
今、韓国人は自分達の犯罪をごまかす為に、強制連行・ 従軍慰安婦など、歴史を捏造して事実を逆さまにして声高に主張している。

また、在日の中には「通名」という特権を駆使して、悪事を重ねては簡単に改名して新しい身分を手に入れて、更に悪事を繰り返している者が多い。

敗戦直後は徒党を組んで役場に乗り込み、優遇を手に入れていたが、今は民団、総連などの弁護士らと関係者複数で押しかけ、大声で捲し立てる。
スタイルは変わったが、今も昔も、やり口は同じという事だ。

日本人 対 在日韓国朝鮮人の間には、こういう過去の経緯(いきさつ)がある。
誰がどう見ても、在日韓国朝鮮人に理はない。
彼らは厄介者だ。
獅子身中の虫である。

在日特権など一刻も早く剥奪し、脱税を厳しく監査し、不要な生活保護を取りやめるべきだ。
そして、心から日本国民として生きる気が無いのなら、母国に送還すべきである。

韓国学校、朝鮮学校などはGHQの命令で「帰国を前提」に作られた。
初期の趣旨に戻して、母国への帰国後に言葉や文化の違いに困らぬ為にだけ、存続を許可すべきだ。

そもそも韓国学校、朝鮮学校などに3世以降の子弟がいる事自体がおかしい。

帰化人についても言っておきたい。
少なくとも1910年の日韓併合後に帰化した者は、日本国への忠誠を厳正に確認し直すべきである。

日の丸、君が代を国旗、国歌として受け容れるかも問い糺すべきだろう。
た、地方、中央を問わず「議員」の身分を有する者は即刻「本名」に戻すべきである。
朝鮮系日本人議員は、普通の日本人議員以上に、日本国への忠誠心を行動を以って示すのが当然だ。

以上、述べてきたように「在日」が本名を隠し「通名」を使いたがるには「歴史的背景」がある。
敗戦時の在日一世の蛮行や今の母国の理不尽な在りかたに後ろめたさが有るからこそ、通名に隠れて生きようとする。
母国に帰らぬ者は、韓国系日本人、北朝鮮系日本人として堂々と本名で生きるべきだ。

幸い2015年度から「通名制度が廃止される」模様である。
至極当然で、寧ろ遅過ぎた。
一世に相当する世代の母国人、在日があれだけの悪事を成したのだから、初めは差別もされよう。

併し、一生懸命 日本人として生きようと努力する姿勢を示せば、いずれ日本人は受け容れる。
その努力すら嫌なら帰国すれば良いだけの事である。